柴田惇朗氏(立命館大学 先端総合学術研究科 )批評コーナー
現在、NPO会員の岡田を中心に、旧真田山陸軍墓地に関連する芸術作品を創作・上演することで出会いの場を拓き、議論と対話の場へとつなぐ試みをしています。2024年度は俳優・振付演出家の髙安美帆が演出を担当して、2025年3月20日(祝・木)に「上町台地にある旧真田山陸軍墓地と積み重なったまちの記憶をツバメと旅する春」(於:TSUBAME HOUSE HOSTEL(玉造つばめの家))を上演しました。
当日は、髙安が演出を担う街歩きパフォーマンスと室内パフォーマンスの他、岡田が担当した対話の時間や舞台美術家の高橋かほりが作った舞台美術の展示、NPO会員の堀田暁生による墓地レクチャーも開催されました。
写真等をイベントのウエブサイト(https://2025bochistage.wordpress.com/blog/)に掲載しているので、よろしければごらんください。
記録として写真は残せますが、上演はご来場いただいた方の心に届いて完成です。完成形はお客様の数だけあり、全てを記録することはできませんが、今回はその完成形のひとつの形を記録に残したいと思い、芸術社会学がご専門の柴田惇朗さん(立命館大学 先端総合学術研究科)にレポートを書いていただきました。どのような上演であり、観客として何を感じたのか、課題は何か。柴田さんの視点で語られています。多くの方にお読みいただけますと幸いです。(NPO会員:岡田蕗子)
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「上町台地にある旧真田山陸軍墓地と積み重なったまちの記憶をツバメと旅する春」レポート
柴田惇朗(立命館大学 先端総合学術研究科 )
1. 会場までの道
2025年3月20日の朝10時半頃。晴れた日で、冬の寒さは少し和らいできている。
玉造駅を出て商店街を抜けると、受付のある「つばめの家」まではほとんど一本道である。11時の開演までに会場に着くために急いで家を出たら、思いのほか早く駅に着いた。コンビニでコーヒーを買い、飲みながら会場までの道を歩く。
歩行は、少なくとも私にとっては生活の一部である。関西に暮らしているとほとんどの場所に電車と徒歩の組み合わせで行けるような気がしてくる。普段歩く道は決まっていて、家・学校・バイト先・劇場・スーパー……といった決まったポイントの間にある道は、私にとって生活を成立させるためにある。歩いていると気持ちはもっぱらイヤホンに流れるラジオなんかに気を取られていて、道中の風景は透明な感じさえする。一人で歩くと、歩くこと自体は基本的に意識されない。
この日も会場までの道は一人で歩いた。あまり通ったことのない道なので、交差点で止まりながら、確か公園が見えてきたら右に曲がるんだよな、と会場までの道を反芻している間、歩くことそれ自体や、歩いている空間の具体的性質についてはほとんど意識されなかったように思う。歩くとは、そのような経験である。
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「上町台地にある旧真田山陸軍墓地と積み重なったまちの記憶をツバメと旅する春」は、旧真田山陸軍墓地とその周辺を歩き回ることを軸に構成されたパフォーマンスである。パフォーマンスは大きく前半と後半に分けられている。前半では墓地の中とその周辺の街を、「ツバメ」に先導されて歩き回り、後半では会場「つばめの家」の2階で、「触地図」を囲みながら、先の「ツバメ」によるパフォーマンスを体験する。
本稿は冒頭で示したような、一個人の限定的な経験をめぐる断片的な記述とすることにした。これは一つには、本パフォーマンスに関しての素晴らしく詳細で丹念に分析されたレビューは、すでに高嶋慈によるもの( https://artscape.jp/article/36245/ )があるためである(私など気づきもしなかったモチーフの分析などが丹念に行われており、大変おもしろかったので、ぜひ参照されたい)。しかし、この選択は単に妥協的なものというばかりではない。私がこの作品を受けてレビューを書くにあたって、適切なスタイルであると思うのである。
私の人生は、多少ではあるが、特異性を帯びたものであると自負している。例えば、私は日本の公教育の外側で育った。国内のインターナショナルスクールという特殊な閉鎖環境での教育経験にいわゆる「日本史」は含まれておらず、私の「旧真田山陸軍墓地」に関する知識も、少なくとも作品に触れるまでは皆無であった(そもそも学校教育で学んだ知識の構成や視点が標準的なそれからはズレているものと思われる)。また、私は現在大学院の博士課程で小劇場演劇の社会学的調査研究を行う者でもある。私の社会を見る目はこのような経験に規定されながら作動していて、その特異性を提示しつつ考察を行ったほうが、体験について読んでいただくうえでも有益かと思う。
もちろん、このような特異性は2−30人いた観客のそれぞれが何らかの形で有しているものであろうし、それぞれが特殊な個人的見方をしていたということが想像はされる。その意味で、多くの特殊な見方が今後さまざまな形でシェアされる一言目(もとい、高嶋氏のあとの二言目)として、本レビューが機能すればよいと思う。
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会場の待合のソファーに座っていたら、主催者のあいさつが始まり、誘導に沿って2−30人の観客はぞろぞろと会場の外に出た。ここから、パフォーマンスが始まった。
2. 集団的歩行
「ツバメ」を演じるパフォーマー(つばころ=石原菜々子/つばんじょ=髙安美帆)はインカムを使って観客を誘導し、各所で立ち止まってはそこにあるものの歴史的背景を説明していく。
つばころ (身振り。無言)どうも。ツバメのつばころです。
つばんじょ どうも、ツバメのつばころです。つばんじょです。この辺りをご案内します。真田山を一緒に感じていきましょう。さあいきましょう。
歩いては止まり、聞き、見渡し、そしてまた歩き出す。パフォーマンスのリズムは規則的で統制されており、観客は集団から離れたり、先を行き過ぎたり、迷子になったりせず、きっちりと「ツバメ」のあとをついていく。
別の言い方をすれば、このパフォーマンスの中心には「集団的歩行」という共同的な実践がある。みんなで歩く。何気ないことだが、この特徴が本作の物理的空間や歴史との向かい合い方を規定する部分があると思う。
まず、「歩行」であることが作品を規定する。私は、多くの人がそうするように、普段から歩いているし、ここへも歩いてきた。歩くというのは多くの場合、生活に埋め込まれた基本的な運動の一部である。運動である以上、その動作はその動作は歩行者の身体性に規定されるし、作品との関係もまた、この身体性に規定されることになる。
本作は歩くことで観ることができる。翻って、歩けるところまでしか観れない作品である。旧真田山陸軍墓地に実際に足を運ぶと、その広さに驚く。網羅的に墓地を経験しようと思えば、一日がかりの大仕事になる。そこで、「歩行」が持つ制約に規定される仕方で、紹介される内容は捨象されていく。例えば、ほとんどの墓碑は大きなカテゴリーの中でしか言及されず、劇中で言及される個人は数名にとどまる。墓地に眠る個人の存在は、個々の鑑賞者の中で漠としたイメージとして処理されることになる。
このような物理的制約による必然的な省略は、墓地自体の特徴とも呼応するものだ。西南戦争の時代には個別の埋葬が行われていたが、日清・日露戦争では合葬墓碑がつくられるようになる。戦闘がより大量の死者を出すようになったことで、陸軍墓地の空間的制約が個別的埋葬を不可能にしたのだ。ちょうど、われわれが見きれない墓石のほとんどを素通りしていくように。
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歩行が「集合的」であることも作品のあり方に大きな影響を与える。演劇学者のエリカ・フィッシャー=リヒテ(2013)は「上演」の中心的な条件の一つとして「肉体の共在」をあげたが、「集団的歩行」の特有の共在性があるように思う。
その経験の特徴の一つはリズムの共有だろう。前半のパフォーマンスを強引に要約するのであれば、リズムを共有し、身体的なスピード感に歴史を詰め込んでいく作業であった。これは前述の通り多くの省略を含み、事実はその身体的限界の中で消化しきれるサイズに小分けにされて提供される。
また、集団的歩行においては他の鑑賞者との意識の共有も行われていく。周りの人々は基本的には「ツバメ」の指示に従って歩いたり止まったりしているが、その中でもそれぞれに関心のあるものの前で立ち止まり、感嘆や関心のあまり声を上げたりもする。最終的な歩行のリズムは、各々の身体的条件ーー足の速さ、疲れやすさ、気の散りようーーなどに規定され、いわば創発的に定められるものとなる。同様に、そこで焦点化されるものやテーマも、緩やかに共同体の中で共有されることになる。
歩行中に現れる即物的な現実、さまざまな「もの」ーー陸軍墓地の物語を伝える場合もあれば、全く無関係に存在するものもあるーーは、特に印象的である。例えば、つばんじょは「ここは約130年前にあった⽇清戦争にまつわるエリアです」とも、「ここから(道が)少し⾼くなってます。こちらの階段をのぼります。⾜元に気をつけて。」とも、「この辺りの桜は、近所の⽅が植えられました」とも発話する(それもほとんど連続的に)。
これらの発話はわれわれが歩行する空間の中に、実際には複数の文脈において理解・記述しうるものが、あるいは記述すらされない隙間が、雑然と、等価に置かれていることを示している。
人間の自然に対する態度は征服的なもの、あるいは意図のないところに意図を見いだすものである。墓の中でより高いところにより偉い軍人の墓が置かれる、などというのは、自然状態では意味が付与されていないもの(物理的高低)に意味を付与していく、実に人間的な営為である(むろん、「墓」自体がそのようなものである)。
空間を歩くことで見いだされるのは、その空間自体が持つ具体性であり、そこに実際には生きているものの存在である。例えば自然。自然は墓石と等価な、あるいはそれ以上の存在感を示し、墓の中に生きている。それは特に春のタイミングーー桜がちょうどきれいに咲き誇っていたーーだからこそ、痛烈に感じられたのかもしれない。
もとい、それを一人で感じていたのでもない。「わぁ、きれいに咲いとるね」「ほんまやねぇ」という見知らぬ老夫婦の会話を一つの起点として、あとに続いた数人は、(ほんまやな)と言ってか言わずか、その桜の前で気持ち長めに立ち止まった。自分も、そのように感じながら、同じようにした。このような即物的現実への反応、また非歴史的要素への注目は、自分自身の条件(歴史的知識の薄さ)に起因するところも大きいのだろう。西南戦争以降の日本史の知識がより豊富にあれば、また別の景色が見えていたのかもしれない(それでも一瞬、桜には見とれていたとは思うが)。
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ツアーは見えないものをも可視化する。小学校に割譲されて失われた3000坪、その底に眠る、記憶になった墓たち。その存在は、説明を受けて初めて可視化される。日露戦争後に合葬され始めた兵士たちの命もそうだ。年月が過ぎ、日本が帝国主義に邁進し、それが失敗し、経済が発展し……その中で、一人ひとりの存在の大きさは徐々に縮減していった。その結果、現在の空間が広がるその下、地中深くに過去が埋められている。
3. 集合的記憶
などと考えていると「歩行」が終わっている。「つばめの家」に戻ってから、一同は人がちょうど一人通れるくらいの階段を登り、L字型に配された椅子に座っていく。椅子が囲んでいるのは真っ白な天蓋で、その中にはさらに真っ白な「触地図」(美術:高橋かほり)が浮かんでいる。先ほどとは打って変わって、劇場に入ってきたのだという気分が高まる。
つばんじょはあとから来る鑑賞者に話しかける。「どうぞこちらへ。ようこそ燕の家へ。歩いてお疲れでしょうか。いかがですか。どうぞ⾜と⽻を休めましょう」。確かに、すこし疲れた。これ以上長かったら、疲れていること自体についてばかり考えてしまったかもしれない。
皆が席につくと、後半のパフォーマンスが始まった。触地図は先程歩いた真田山を縮小したものだ。つばころは指で触地図をなぞる。先程歩いた道だ。地形、ランドマーク、歴史的経緯、さまざまな説明が入り混じりながら指が動き続ける。私の脳内では、先程の風景が順に再生される。
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モーリス・アルヴァックスの「集合的記憶論」という社会学理論がある。これは個人的なプロセスとして理解されがちな記憶を、集団との関係から再考するものである。「過去はつねに現在の視点から再構成される」という有名なテーゼは、過去が個人ではなく集団の中で機能するものであることを示す(武内2020:104)。
武内(2020)はアルヴァックスの理論を「集団の持続と『幻想』の併存」という記憶の「パラドキシカルな条件」を通じて再整理を試みている。アルヴァックスによれば、時間は集団ごとに存在し、個人の時間とはそこからの「借用」であるとされる。このような視座から考えるのであれば、記憶が作動するためには集団が持続していることが条件となる。
記憶のもう一つの条件が「幻想」である。アルヴァックス(1950=1989:162)自身はこの幻想を次のように説明している。「少なくとも一定の持続の期間、絶えず変化する世界の中で、一部の領域が相対的安定と均衡を獲得するという幻想、そして本質的なことは多かれ少なかれ長い期間何ら変化しないという幻想」。集団も、時間的経験も、実際には流動し続けており、その意味において「変化しない」状態を想定するとしたらそれはおしなべて「幻想」である。集団は「持続の「停止」という「 幻想」を〈わたし〉に 与える」(武内2020:112)ことで、ある視座から過去を想起することを可能にする。
アルヴァックスの議論の面白さは、個人がこのような集団との関係を複数的に有しており、そのような複数の集団との交差点において世界を見ているからこそ、「私の記憶の特異性」を感じるのだ、と論じている点である。私の経験が特異的に感じられるのは、単にその経験が複数の集団との関係において参照されているからである。冒頭で宣言した私の「特異性」も、私が参照している集団の記憶を反映したものであると考えることができるだろう。
このような、記憶していたアルヴァックス理論のおぼろげな断片が、以下のような思考を誘発した。
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順に振り返られる「歩行」の道程は、今ここで肩を並べて座っている束の間的な「集団」の記憶を喚起する。確かに、私たちはあの墓標や桜の木、かつて墓地だった小学校の横をともに通り過ぎ、墓地が立ち上がるプロセス、空間が維持される力学、そしてそれとは無関係に生きる自然の記憶を共有した。みんなで一緒に歩いた真田山。同一の「幻想」の中にいることが感じられる。
この記憶は後半のパフォーマンスを通じてさらに強化されていく。つばころはある下級武士出身の陸軍学校の生徒の手記を読む。原文→書き下し→解説と順に読み下されることで、時間が隔てる言語の壁は取り払われる(私は古い日本語もまた、あまり読み取れない)。次々にテキストが読まれていくと、われわれは軍人や軍役夫の生活であり、実感であるそれらの言葉を集合的記憶の中に蓄積していく。
そこで参照される集団とは何だろうか、とふと気になる。おそらく、この日本語を中心に編まれたパフォーマンスの鑑賞者は、主に日本人で構成されていたと考えられる(当然、これはただの憶測である)。となると、このパフォーマンスが、テキストが格納されていく集合的記憶は、「日本人」としてのそれなのだろうか、と思う。
「捕虜として⼤阪にいた清国⼈6名とドイツ⼈2名の墓碑もここにあります。」と、はじめに墓碑に対面する際に簡単に述べられるだけのせりふを思い出す。これは聞いた瞬間から印象に残っていた。思えばそれは、私自身の育ちの過程が、単に日本の公教育から隔絶されていただけでなく、日本社会から一定の距離を持って暮らす在日外国人の級友や先生たちとともにあったからであろう。日本人である自分は、日本社会と在日外国人コミュニティの間のアンビバレントなポジションで、どちらの集団にも影響を受けながら育った。
「清国⼈6名とドイツ⼈2名」はどのような人生を送ったのだろう。日本人との直接的関わりがあったかもしれないし、漠然とした敵性外国人としてのイメージしか持っていなかったかもしれない。交流があったとて、それはどのようなものだったのだろうか。どのように死に、その死は日本人に、自国の人々に、家族に、友人に、どう受け止められたのだろうか。作品の中からはそれは読み取れないが、この一文が「在日外国人」集団の「記憶」と自分の中では接続し、妙な実感を残した。あぁ、この人たちも僕の友達たちのように、非日本人として日本を暮らしたのだなと思った。
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最後に、つばころは触地図の上空をツバメのフィギュアを持って旋回させる。それは、人間の歴史の上下の構造のさらに上の空間である。いま、私たちはツバメの目線に同化し、空間の、歴史のどこよりも上にいる、と思う。しかし、実際には飛ぶことはできない。
4. 帰り道
午後15時を回っていただろうか。会場を出て、歩いて帰る。
帰り道の記憶はあまりない。また道自体ではなく、パソコンと思考の中で過ごしたからだ。上記のレポートも、その半分くらいは帰り道、電車に揺られながら書いたメモに基づいている。とても刺激的なパフォーマンスであると同時に、個人的なパフォーマンスだった。
今、この文章を書いている自宅のリビングでメモを見返していると、ああ、たしかにこんなこと思ったな、とも、こんなこと思ったっけ、とも思う。個人的記憶はかくも頼りない。実際、一緒に「集団的歩行」をして、その後パフォーマンスを鑑賞した人々の中には知り合いもいなかったので、顔すらあまり覚えていない。
一方で、実際に「ツバメ」と旅したことは記憶に鮮明に残っているし、それはおそらくその時間を共有したわれわれ鑑賞者集団に共通している。「集団的歩行」は、それ自体が歴史的経験の一つの比喩であるようにも思える。身体的に、空間的に、パフォーマンスの構成的に規定されながら、集団としてある経験をする。それを経験として理解すること自体が「幻想」だとしても、そしてその経験を理解する過程で多くのものを忘れてしまうとしても、それはやはり着実に集合的記憶の一部となっているのだ。
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参考文献
- エリカ・フィッシャー=リヒテ,山下純照・石田雄一・高橋慎也・新沼智之訳,2013,『演劇学へのいざない――研究の基礎』国書刊行会.
- Halbwachs,M.,[1950]1997,La mémoire collective.(小関藤一郎訳,1989 ,『集合的記憶』行路社.)
- 武内保,2020,「モーリス・アルヴァックス 集合的記憶論再考ーー集合的持続・〈過去〉・自由」『ソシオロゴス』44:104–22.「上町台地にある旧真田山陸軍墓地と積み重なったまちの記憶をつばめと旅する春」最終台本
- 「上町台地にある旧真田山陸軍墓地と積み重なったまちの記憶をつばめと旅する春」最終台本
〇著者プロフィール〇
柴田惇朗
立命館大学大学院先端総合学術研究科・博士後期課程在学中。サントリー文化財団鳥井フェロー。専門は芸術社会学。京都の小劇場演劇シーンを中心に調査を通じて、創作のプロセスと価値の言説に関する研究を行っている。近年はパフォーミングアーツ・グループ「ソノノチ」にアーカイブ担当として参加し、長期でフィールドワークを実施中。主な論文に「舞台芸術において表明/実践される『集合モデル』」(『ソシオロゴス』第48号、2024年10月)など。
上町台地にある旧真田山陸軍墓地と積み重なったまちの記憶をツバメと旅する春 概要
開催日時:2025/3/20(木・祝)
メイン企画
◉パフォーマンス ①11:00/②15:00(約90分、要予約)参加料:無料
定員:各回15名
演出:髙安美帆(エイチエムピー・シアターカンパニー)
出演:髙安美帆、石原菜々子(kondaba) 美術:高橋かほり
パフォーマンス後、「対話の時間」も開催予定。(自由参加)
会場:TSUBAME HOUSE HOSTEL(玉造つばめの家)(〒543-0012 大阪府大阪市天王寺区空堀町4−4)
◉展示企画 10:30〜19:00
高橋かほり製作の舞台美術を触っていただけます。
会場:TSUBAME HOUSE HOSTEL(玉造つばめの家)(〒543-0012 大阪府大阪市天王寺区空堀町4−4)
※展示のみの鑑賞も可。(予約不要)
関連企画
◉ 墓地レクチャー 13:30~14:30 (参加料無料)
講師:堀田暁生
上演に使った資料を歴史学者がご紹介します。
会場:空堀町集会室/NPO法人旧真田山陸軍墓地の保存を考える会資料室(場所は、旧真田山陸軍墓地内。JR大阪環状線「玉造駅」下車西方へ徒歩約5分です。大阪メトロ鶴見緑地線「玉造駅」からも徒歩すぐで行けます(2番出口)。敷地は三光神社のすぐ西側隣接です。公演にご来場の方には、受付でご案内いたします。)
☆講師略歴:堀田暁生/旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会理事。大阪府生まれ。関西学院大学、同大学院にて日本史専攻。文学修士。前大阪市史編纂所長。川口居留地研究会代表。『大阪川口居留地の研究』共著 思文閣出版、1995。『大阪の地名由来辞典』東京堂出版 2010、『大阪の国際交流史』1991、など。
◉問い合わせ hakapuro@gmail.com (制作:石田)
プロジェクトメンバー
構成・演出:髙安美帆(エイチエムピー・シアターカンパニー) 出演:髙安美帆、石原菜々子(kondaba)
創作協力:岸本昌也(kagurabu) 美術・空間構成:高橋かほり 宣伝美術:中村詩おり 舞台監督:井上和也
茶屋:金子仁司(kondaba) 写真撮影:石井靖彦 映像記録:岡田健一、山﨑達哉 ドラマトゥルク:岡田祥子(NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会) レポート:柴田惇朗(立命館大学大学院 先端総合学術研究科) 制作:石田麻菜美 制作協力:阪田愛子 制作増員:neco.(第九惑星) メンター:筒井潤(dracom)プロジェクト運営:岡田蕗子(京都芸術大学舞台芸術学科)、山﨑達哉(大阪大学中之島芸術センター)
主催:旧真田山陸軍墓地芸術プロジェクト
助成:公益財団法人芳泉文化財団 地域文化活性化部門、アーツサポート関西「インターグループ上町台地現代アート寄金」
協賛・特別協力:NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会
調査・運営協力:奥田裕樹、小田康徳、橘尚彦、堀田暁生、横山篤夫、吉岡武(以上、NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会)
協力:一般財団法人大阪地域振興調査会【上町台地アートプロジェクト実行委員会】、TSUBAME HOUSE HOSTEL、大阪大学中之島芸術センター、山岡大地(山口情報芸術センター)
スペシャルサンクス:Wanqian Lin、菊池航、栃岡章